軽井沢は最高の季節を迎えています。
別荘地では日に日に緑が勢いを増し、穏やかな日光を浴びてキラキラ輝いている様はため息ものの美しさ。町内をドライブするだけでも本当に気持ちがよく、つい山道を選んで遠回りしたくなるほどです。
この季節になると、毎年様々なメディアで軽井沢が取り上げられますね。実はつい先日も某メディアの軽井沢企画に参加する機会がありました。
その中で話題に上がったのが、「軽井沢は他の別荘地とどう違うのか?」ということ。
別荘地は日本各地にあれど、軽井沢ほど絶大な人気とブランドを保っている場所は他にありません。
東京からのアクセスの良さは言わずもがな。また外国人宣教師が拓いた地であり、どこか異国の文化が混じりあっている歴史的背景もブランドの一助となっているでしょう。
しかし何よりの魅力は、軽井沢に根付く「サロン・コミュニティ文化」ではないかと思うのです。
軽井沢には避暑を楽しむ人々が日本各地から集まってきます。
ハイシーズンになると、例えばツルヤ軽井沢店など皆が集まる場所で「お元気でしたか」「今年もよろしくお願いします」などと声を掛け合う人を多く目にします。
普段は皆別々の場所で生活しているのだけれど、夏になると自然と軽井沢で繋がり社交をするわけです。
実際このゴールデンウィークにも、数々の別荘でバーベキューパーティーが開催されていました。(もちろん、当社社長夫妻のご自宅でも♪)
軽井沢で暮らしていると、夏の間、本当にいくつものホームパーティーに招かれます。今週はあそこの別荘で、来週はあちらの別荘で、といった具合に。知り合いが知り合いを呼び、どんどん縁が繋がっていくのです。
ホームパーティーだけではなく、夏の間はホテルやレストランでも様々なイベント・パーティーが開催されます。
夏の宵、心地よく吹き抜ける夜風と虫の声に包まれ、ほんの少しドレスアップして集まるパーティー。アットホームでありながら洗練されており、軽井沢らしさを感じられる素晴らしい場だと感じます。
このような“軽井沢社交”が自然と根付いているのは、軽井沢という町の歴史的な歩みが背景にあるようです。
明治時代、カナダ人宣教師A.C.ショーによって避暑地としての歴史を歩み始めた軽井沢。第一次世界大戦後好景気となった日本では、有産階級の人々も盛んに軽井沢を訪れるようになったといいます。
そうして避暑に訪れる日本人観光客の需要を満たすため各種商店が立ち並び、軽井沢の中心である旧軽井沢商店街は「軽井沢銀座」などと呼ばれるほどの賑わいを見せていきます。
ゴルフ場、テニスコート、乗馬等のスポーツ施設も相次いで新設され、避暑地・軽井沢の原型が出来上がったのはこの時期のこと。
この時代の欧化政策を象徴する出来事として、外務卿井上馨が建てた洋館「鹿鳴館」はあまりにも有名ですね。
そして実は軽井沢にも「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれる「(旧)三笠ホテル」が存在します。三笠ホテルには当時の財界人・文化人が多数宿泊し、まさに鹿鳴館のような社交の場としての役割を果たしていたそう。
当時から、普段は日本各地で活躍する人々が夏になると軽井沢で集い交流していたわけです。
“軽井沢社交”は、この時代から脈々と受け継がれているのですね。
こうした軽井沢に根付く「サロン・コミュニティ文化」こそ、他の別荘地にはない魅力なのではないでしょうか。
実際、軽井沢で別荘暮らしをしている方、移住してきた方たちは皆、口を揃えて「コミュニティがあって楽しい」「人との関わり方が洗練されている」とおっしゃいます。
お稽古サロンなど趣味で繋がるコミュニティ、美食やワイン好きの会、ワンちゃんを愛する人たちのコミュニティもあれば、音楽やアートを楽しむ人たちも。
普段生活している環境が異なっていても世代が違っても、”軽井沢が好き”という一点で繋がる人の輪。
そして軽井沢で偶然出会った場合でも、詳しく話を聞いてみるとたいてい共通の知り合いがいたりするのも面白いです。
ちなみに「(旧)三笠ホテル」は、現在は泊まることはできません。ただし国の重要文化財にも登録されており、当時の外観・内装そのままに見学をすることができます。
富裕層のための限定されたホテルであったことが一目でわかるその豪華さは一見の価値あり。ぜひ一度足を運ばれてみてください。
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